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大規模な戦闘

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大規模な戦闘

毛沢束の命令にもとづいて中国共産党が国民党に対して攻勢に転じた一九二九年以降、日本軍の
後力で、共産党勢力と国民党勢力のあいだに支配地域をめぐる大規模な戦闘が頻発するようになっ
た(.たいていは共産党側が勝利をおさめた。 一九四〇年一月には、朱徳と彰徳懐が指揮する八路軍
は少なくとも二四万の兵力に成長していた(戦争が始まった時点では四万六〇〇〇だった)。劉少
奇の指導下、上海。南京地域で作戦行動を続けている新四軍は、当初の三倍にあたる三万の兵力に
成長していた。日本軍の後方に相当な大きさの根拠地が何十も作られた。北京からわずか八〇キロ
ほどの晋察真根拠地だけでも、人口二五〇〇万の規模に成長していた。抗日戦争が始まって二年余りが経過したこの時点で、当初の愛国的熱情が現実主義に変わっていくにつれて、共産党軍指揮
官の中には毛沢束の冷徹な展望の正しさを賞賛する者が多くなっていった。彰徳懐は一九四〇年
二月の演説で、毛沢束を「政治的先見を備えた英明な指導者であり、先の展開を読んでそれに対処
する能力を持っている」と形容した。周恩来が完全に毛沢東支持に転じたのも、この時期である。
毛沢東は中国共産党をうまく抱き込んだ。しかし、スターリンもつなぎとめておかなければなら
ない。何力月ものあいだ、毛沢東は国民党との衝突をモスクワに隠していた。 一九三九年六月に戦
闘が頻発し本格化するようになってはじめて、毛沢東は国民党と戦っていることをモスクワに知ら
せたが、それでも、戦いは純粋に自衛目的であり、むしろ国民党のほうが共産党を職滅しようとし
ているのだ、と説明した。
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